1807(文化4)年、幕府より斜里地方の沿岸防衛を命ぜられた津軽藩は7月から藩士100名が駐屯して沿岸警備にあたりました。このとき斜里前浜に建てられた陣屋3棟(3間x12間2棟、3間x10間1棟)の場所を「松前詰合日記」から推定し史跡としたものです。警備での越冬期間中、浮腫病の蔓延により藩士は次々と命を落としました。翌年故郷の津軽へ帰還した藩士はわずかに17名にすぎず、現在「津軽藩士殉難事件」として知られています。
北海道斜里郡斜里町本町51
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