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斜里神社
寛政8年(1796年)斜里場所請負人であった村山伝兵衛が弁天社を寄付したのがはじまりです。小さいけれども斜里にある1番古ふるい建造物です。昭和… -
津軽藩シャリ陣屋跡
オホーツク海近く、通称「北まわり線」には、津軽藩士が北方警備をしていた「津軽藩斜里岳陣屋跡」があります斜里の歴史にも触れてみませんか?… -
旧川端邸
斜里の初代戸長(今の町長にあたります)を務めた川端又三郎というひとの子孫の家です。 数少ない大正13年の建物です。(公開はされていません) … -
三井農林旧従業員寮(北のアルプ美術館)
かつて斜里には大きな農場がいくつかありました。中でも三井農林は斜里だけでなく札弦にも農林や山林を持ち斜里の中では1番大きな農場で山林の経営、畜… -
ゆめホール知床
600席の文化ホール、350名収容の公民館ホールをはじめ、実習室や会議室も備えた多目的ホールです。音楽会、展示会、映画の上映など様々なイベント… -
知床博物館・姉妹町友好都市交流記念館
斜里町市街地にある「知床博物館」。知床に生息しているさまざまな野生動物の剥製や、町内の遺跡で発掘された土器など、豊富な資料が特徴です。 博物館に… -
津軽藩士死没者の供養碑
この供養碑は、1807年の冬におきた津軽藩士殉難者の慰霊のために、1812年、前田久太郎、尾本太吉、惣番人中を施主として下町に建立されたもので… -
津軽藩士殉難者慰霊碑
1807年幕府はロシアからの攻撃に備え津軽藩士達をこの地の警備にあたらせました。しかし寒さと栄養不足で藩士達は次々に病に侵され命を落としました… -
津軽藩士墓所跡
1807(文化4)年におきた津軽藩士殉難事件の犠牲者を弔うため、桧材で墓標を建てたことが記録が残されています。また、1893(明治26)年の斜… -
津軽藩士シャリ陣屋跡
1807(文化4)年、幕府より斜里地方の沿岸防衛を命ぜられた津軽藩は7月から藩士100名が駐屯して沿岸警備にあたりました。このとき斜里前浜に建… -
旧根室街道
斜里橋からこいづみ呉服店(太田呉服店)の角を北(海側)に曲まがり、そのまま進んで望洋荘の前に出て、星印刷、自動車学校前から朱円、越川を通って標津町… -
斜里神社
斜里の神社は、斜里場所の漁場の守護神(守り神)として海上神の住吉大社を祭っていた弁天社でした。明治時代になってからは内陸の開拓の守護神である天… -
又三郎公園
明治13年(1880年)から3年間、斜里郡初代戸長を務めた川端又三郎の子孫(4代目)が斜里町中心市街地域活性化の区画整備事業に伴い、敷地の…